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●いのち論の彼方

 縄文人の残した貝塚は、食べかすのゴミ捨て場ではなく、貝の墓場だと言われている。貝を弔うことで、貝の子孫が戻って来ることを願ったのである。縄文時代の遺跡からは、子供の鹿や猪の骨が発掘されていないと言う。彼らは無駄な狩猟や殺戮はしなかったのである。そこに流れているのは、人間を自然の一環に組み込んだ「生命の循環」の思想ではなかったか。
 アイヌには「イヨマンテ」と呼ばれる熊おくりの儀式がある。人間に食料や衣料を提供してくれる熊に感謝し、丁重に弔う儀式である。殺した熊に対する感謝を忘れず、熊の遺体を食べ尽くし無駄なく活用するならば、熊は喜んで他界し、生まれ変わってもまた身体を提供してくれると言う信仰である。それは、人間の犠牲にされる他の生命への感謝に支えられた生命循環の礼儀作法である。
 しかし、われわれは合理主義の基に呪術的礼儀の意義を切り捨て、縄文人の生命倫理とはかけ離れた社会を作り出してしまった。ここに学ぶべきものは多いが、実践的にはどうすべきなのか。森岡正博氏によれば、近年の生命倫理は「いのち論」として日本独自の展開を見せていると言う。
 たとえば、東京都の公立小学校教諭を三十年間続けた鳥山敏子氏は、生徒達に「生きた鶏を殺して食べさせる」という授業を行っている。
 鳥山氏は、他の生命を殺して生きなければならない苦悩の末に、空高く飛び続けて星になってしまうという、宮沢賢治の童話『よだかの星』に流れる思想に感銘を受けたと言う。氏は、殺す者と食べる者の分業が始まってから差別が始まり、生命の境界線があいまいになったのではないかと主張する。
「自分の手ではっきりと他のいのちを奪い、それを口にしたことがないということが、ほんとうのいのちの尊さをわかりにくくしているのだ。殺されていくものが、どんな苦しみ方をしているのか、あるいはどんなにあっさりとそのいのちを投げだすか、それを体験すること。ここから自分のいのち、人のいのち、生きもののいのちの尊さに気づかせてみよう。」
(鳥山敏子・著『いのちに触れる』)
 授業の当日、女子生徒は鶏を抱いて逃げ回り、泣きながら「殺さないで」と叫んだが、やがては空腹の余り肉を食べたと言う。子供達には、直に生命を奪った後味の悪さが残った。
 子供達は、その後の授業で如何にたくさんの生命を奪って生きているかを実感し、食物に宿る生命の重さを知り、戦争や無意味な殺戮に対して強い嫌悪を抱くようになったと言う。
 他の生命を奪って身体に取り込むという強烈な自覚が、自らを維持するために捧げられた他の生命への感謝に繋がり、自らの生命も他の生命も慈しむ心が生まれたのである。それは、いのちに触れる授業であった。
 血まみれの残酷さと向き合う中から、生命の重さをつかみ取るという生々しい葛藤。それは、いのちといのちの荒々しいぶつかり合いであり、自然と人間との対話ではなかったか。このような強烈な自覚を伴ってはじめて、人間の生命力は回復に向かうのではないか。そして、生きることの楽しさと苦しさを受け止め、自然保護を実戦し得る力強さも立ち昇ってくるのではないだろうか。
 ここには、「人間はドブ川にわくユスリカの幼虫のようなものだ」(リクルート社発行『ダ・ヴィンチ』九四年六月号掲載インタビュー)と語る宮崎監督独特の平等主義に深く通じる思想があると思えてならない。
 環境保護の概念も、善行一般のキレイ事でなく、同じ生命としての痛みを分かち合う苦悩なしには、耳慣れた道徳的宣伝文句と化すだろう。