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●崩壊する生命倫理

 現代は、これまでのどの時代にも増して、生命と生命のつながりが希薄な時代、生命の重さが実感出来ない時代と言わねばならない。
 カルト教団による大量自殺や無差別殺人、女性・幼児に対する変質的猟奇的殺人事件の頻発、老人や労務者の虐待、さらには小動物の惨殺までが連日起きている。学校現場ではいじめが続き、少年・少女の自殺は後を断たない。仮想世界でも、大殺戮ゲームのごとき推理サスペンス映画や、ボタン一つで生殺が行えるペットゲームが大流行するご時勢である。
 そして、バイオテクノロジーと呼ばれる動植物の生命操作技術が発達し、ついにクローン羊が誕生するに至った。人間は高等生物の生命まで操れる時代になりつつある。この国では、人の脳死問題の是非までが不透明なまま国会で論議され、法案が採択されている。
 一方、地域共同体が崩壊し、他人と関わらない一方通行の個人主義文化がはびこっている。これとは逆に、自閉症の子供や痴呆症の老人の治療には、アニマル・セラピーと呼ばれる動物飼育が有効だと言われる。
 これらの諸現実を関連づけて考える時、人間は生命の価値を見失い、本質的な生命力を失いつつあるのではないかと思えて仕方がない。
 人間が生きることは、それ自体他の生命を殺して食べることである。人間は、自らの生命を維持する限り、他の生命を奪い続けるのである。これは逃れられない現実である。この現実に向き合うことなく、生優しい自然保護などを唱えたところで、それは敗者に対する勝者の哀れみのようなものでしかない。
 では、生命倫理をどこに見い出すべきなのか。