1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44


● 消えた巨石像文明の謎

 ギメガメシュの物語は、単なる神話ではなく、史実を鋭く見据えたものだったのではないだろうか。この物語は、昨今話題となっているある学説とよく符合する。それは、「イースター島の文明がなぜ滅んだのか」という問題である。
 謎の巨石像モアイで有名なイースター島は、南米チリの沖合にある面積わずか一二〇平方キロの小さな火山島である。
 五世紀頃ポリネシア系の移民が住み始めた頃、この島はヤシ類で覆われた緑の島であった。しかし、動植物・魚類の資源は乏しく、雑穀類も育ちにくい痩せた土壌であった。人々は鶏とサツマイモを主食とする単純な食文化を築き、余剰時間を専ら宗教的祭祀に当てた。島の火山ラノララクの凝灰石を石器で削って巨大な石像を彫り上げ、海岸線に散在する「アフ」と呼ばれる祭壇に運んだ。その運搬方法は大木を伐り、延々たる丸太の行列をコロにして運ぶというものであった。また、暖房用の薪や家屋・船の建設のために更に多くの樹が伐られた。
 高度な祭祀文化に明け暮れる平和な島の人口は、年々確実に増え、一六〇〇年頃には七千人(一万人以上とする説もあり)に達したとされる。ところが、一六五〇年頃から急激な食糧危機に見舞われ、資源争奪を巡って部族抗争が頻発、果ては食人にまで及んだのである。この時代の地層から発掘された多くの武器やバラバラに砕かれた人骨がそれを物語っている。
 各部族の象徴である巨石像は、力の宿る眼の部分を潰され、次々に引き倒された。戦争に明け暮れるうちに人口も激減し、人々は文化を失い、次第に未開状態へと逆行していった。
 一七二二年、オランダ人のJ・ロッグベーンがヨーロッパ人で初めてイースター島を訪れた。島には樹がなく、一面草原に覆われ、住民は草ぶきの小屋や洞窟で原始人的な暮らしをしていた。一七七四年、クック船長が訪れた時には、住民は武器を手にして闘っており、人口は六百人程度まで減っていた。それは文明の終末を物語る風景であった。
 一八六二年以降は、奴隷商人がやって来て次々と住民をペルーに連行した。そして、一八七七年には住民はわずか一一〇人になってしまった。それも奴隷としては役に立たない老人と子供だけであった。
 こうして、イースター島の文明は消滅した。残ったのは、後世物議を醸すことになる千体もの巨石像(うち三百体は作りかけで放棄されたもの)と樹のない荒れた大地であった。

● イースター島の教訓

 一六五〇年以降のイースター島の食糧危機はなぜ起きたのか。それは、人口が増え過ぎたためと、何よりも樹を伐り過ぎたためである。
 樹の激減は土地の養分と保水力を低下させ、表土流出を招いて畑作を不可能にする。河川は枯れ、泥水でも飲まねば生きられず、疫病が発生する。海に流れる養分もなくなるため、近場の魚はますますいなくなる。遠洋航海用の大船を作る樹もないので、漁も移住も不可能になる。木造家屋の建造も不可能となり、草ぶき小屋や洞窟住まいを余儀なくされる。唯一の食料である鶏を他部族から守るために石小屋が建てられ、それを巡って抗争が起きる。―そして全島で戦乱が頻発し、相互に殺し尽くし、食べあうという最終事態にまで至ったのである。
 島の資源は最初から乏しく有限であった。島に暮らす住民は、七千人もの人口を支えられる食料が続くわけもなく、樹を伐り尽くせば生えないことは充分分かっていた筈である。にも関わらず、人々は人口増加も森林伐採も抑制することが出来ず、最後の最後まで巨石像を彫り続け、運ぼうとまでしていたのである。人々は自滅するまで資源消費の欲望を捨てることが出来ず、ついに資源再生と共生の術を知らなかったのだ。
 環境考古学者の安田喜憲氏によれば、クレタ島のミノア文明やローマ文明もまた、数世紀の繁栄を欲しいままにしたものの、樹の消滅と共に資源争奪戦争が起こって消滅したと言う。イースター島文明滅亡の歴史は、世界各国の文明の歴史を凝縮したものであったのだ。
 我々には、イースター島やローマの民を「愚かな民」と笑う資格はない。現在、地球の総人口は毎日増え続け、資源も減り続けているが、大量消費の欲望を制限しようという動きは極わずかなものであるからだ。
 一九五〇年代には二五億人に過ぎなかった地球の総人口は、わずか四〇年で五〇億人を突破している(九七年現在で五八億人)。地球の資源総量で、先進国の価値観で言う「最低限の人間生活」を維持出来るのは、八〇億人が限界と言われている。しかし、今のままでは単純計算で二〇二〇年には八〇億人を突破、二〇五〇年には百億人に近くなる。それは、全世界の砂漠を緑化し、耕地面積を最大限に拡大しても、まかない切れない数だと言う。さらに、先進諸国の贅沢な消費生活や後進国の人口増加の加速が、このリミットを大幅に前倒しにすることは確実である。
 宮崎監督の見解はさらに厳しい。
「地球の人口が百億になることを想定して物事を考えたりするのは、非常に傲慢な感じがする。とても百億まで行かないだろうと思ってしまいます。」(前述『週刊朝日』掲載・司馬氏との対談)
「アトピーやエイズの渦の中で、子供を生み、人口が百億人になっても、ひしめき合いまじり合って生きていかなければならないと考えている。」
(『朝日新聞」九四年二月二四日付インタビュー)
 「資源を喰い尽くせば文明は消滅する」という教訓は、全世界に重くのしかかっている。たとえ、この国が照葉樹林地帯であっても、アスファルトとコンクリートの敷設された土地や、水脈や生態系を破壊して建造したゴルフ場には森は再生しない。現在の消費量を維持するために、他国の資源争奪を巡って戦争が起きないという保証はない。(実質的には既に経済的な市場争奪戦下にある。)他国を収奪して豊かになれば、ますます難民や移民が増えることになるだろう。ギルガメシュの遺言であった「滅びの道」を驀進している我々は、イースター島の教訓を生かすことを真剣に学ばなければならないのではないか。
 なお、宮崎監督は漫画版『風の谷のナウシカ』の連載終了前後に、このイースター島学説を序章とするクライブ・ポンティングの著書『緑の世界史』を読み、大きな衝撃を受けたと語っている。(『COMIC BOX』九五年一月号掲載インタビュー)『もののけ姫』の制作にあたり、監督はここに思想的出発点を見い出したのではないか。
 前述の「シシ神は生と死そのもの」という言葉には、この全人類的大テーマが含まれていたのではないだろうか。