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『もののけ姫』が「人間と自然」をテーマとして扱った物語であることは一目瞭然である。人間も自然も心優しい存在でなく、自らの生を賭けて凶暴な破壊と殺戮を繰り返す。憎悪は最後まで残り、破壊の爪痕も消えることはない。一見明るくも苦々しい結末には、宮崎監督の現代社会を生きるための思想が滲み出ている。
これまで述べて来たように、『もののけ姫』の各シーンには多くの学説や神話の要素が凝縮されている。本論で挙げたものの中には宮崎監督が意識していないものもあったかも知れないが、それは同じ人間の営みの中で生まれた物語というアバウトな共通性でご勘弁願うことにしたい。
本論の最後に、作品の背骨を形成している宮崎監督の思想を追ってみたい。
『もののけ姫』の物語全体の大枠を思わせる物語がある。それは五千年以上前に書かれた人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』である。
かつて人類最初の文明が発生した地、メソポタミアには巨大なレバノンスギの原生林があった。シュメールの神エンルリに命じられた半身半獣の森の神フンババは、数千年もの間、人間たちから神々の森を護って来た。
ところがある日、ウルクの王ギルガメシュは「人間は今まで、長い間自然の奴隷であった。この自然の奴隷の状態から人間を解放しなければならない。」と決意し、エンキムドゥと共にフンババ退治に出かけたのである。
森は余りに美しく、ギルガメシュは一瞬たじろぐが決意を新たに森を伐る。怒ったフンババは凶暴化し、嵐のような唸り声をあげて、口から炎を吐いて襲いかかる。ところが、ギルガメシュとエンキムドゥはひるまず立ち向かい、ついにフンババは首を刈られて殺されてしまう。それを可能にした最強の武器こそ青銅の斧であった。人類は金属器の開発によって、ついに森を征服したのだ。
しかし、フンババ殺しの天罰を受けてエンキムドゥは殺されてしまう。ギルガメシュは、あの世に旅立ちエンキムドゥを連れ戻そうとするが失敗する。不死の薬を入手することも出来ず、失意の末にウルクにたどり着いたギルガメシュは次の言葉を残して息絶える。
「私は人間の幸福のために、いかなるものを犠牲にしても構わないと思っていた。フンババの神と共に、無数の生きものの生命を奪ってしまった。やがて森はなくなり、地上には人間と人間によって飼育された動植物だけしか残らなくなる。それは荒涼たる世界だ。人間の滅びに通じる道だ。」
神を殺して最高の権力を手にした者にも手に入らなかったもの、それは生死を司る自然の摂理であり、支配でなく共生の価値観であった。アシタカの言葉「シシ神は生と死そのものだ」が頭をよぎる。
宮崎監督の意図かどうかは分からないが、『ギルガメシュ』には『もののけ姫』に深く通じるテーマを感じる。同時に、五千年の時を経ても人間の抱える矛盾が少しも解決されていないことを思うと暗澹たる気分になる。
ギルガメシュに相当するエボシ御前は、部下でなく片腕を失い、失意の底で死ぬことなく、生き延びるわけだが、タタラを囲む復活の新緑は「人間と人間が飼育する動植物」にならなかったかどうか。史実の回答は否定的である。