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●実在の人物たちへの尊敬
「失われた可能性」というキーワードからは、宮崎監督が尊敬する以下の実在の人物たちを想起することも出来る。
まず、優秀な飛行機乗りで作家のサン=テグシュペリ(一九〇〇〜四四)である。ファンタジックな児童文学『星の王子さま』や、飛行士の体験を基に綴った『人間の土地』『夜間飛行』などの著作で有名な彼は、対ナチスのフランス解放戦争に従軍し、地中海上で行方不明となっている。
次に、対ナチス戦争で英国軍戦闘機乗りとして活躍し、後にアメリカで作家になったロアルド・ダール(一九一六〜九〇)。アフリカの石油売りだったダールは、突然志願して飛行機乗りとなり、わずかな訓練でナチス機を迎撃した天才であった。その行動には迷いがなく、豪快で自己完結的であった。作家としては、宮崎監督が傾倒した『飛行士たちの話』『単独飛行』など初期の自伝的小説の他、人形アニメーション映画『ジャイアント・ピーチ』(一九九五年アメリカ/ヘンリー・セリック監督)の原作として有名な『おばけ桃の冒険』などの児童文学がある。『単独飛行』に登場する複葉機「タイガー・モス」は、後に『天空の城ラピュタ』に登場する海賊船の名前にもなっている。
そして、国内で最も尊敬していた作家に堀田善衞氏(一九一八〜)と司馬遼太郎氏(一九二三〜九六)がいる。
堀田氏は、戦中・戦後を通じて独自の観点から日本の軍国主義を批判し、ヨーロッパ文明や日本中世などを俯瞰された人物である。監督は、当初堀田氏の著書『方丈記私記』を下敷きとした平安末期の時代劇を構想していた。
『方丈記』の著者鴨長明(一一五三〜一二一六)の生きた平安末期は、遷都後の政治混乱に飢饉・大地震・火災などが重なり、荒廃の一途であった。長明は、世を捨てて隠遁したが、乱世の観察と原因探求を怠らないことで社会批判の姿勢を示した特異な人物である。堀田氏は、『方丈記』の世界と第二次大戦末期から敗戦に至る日本社会の混乱を重ね合わせ見たのである。
監督の構想が実現しなかった背景には、鴨長明の生きた死屍累々たる混沌の時代が、余りにオウム真理教事件や阪神大震災の世情とダブって見えたため敬遠したと思われる節がある。(前述『週刊朝日』掲載・司馬氏との対談)
司馬氏は、二十二歳で敗戦を迎えて日本に失望したことを原点として、尊敬すべき日本人像を求めて歴史小説の作家になったと言う。小説を断筆した末期に書いたエッセイ『この国のかたち』や対談・紀行集は、自己批判と一体の現代社会批判の意味があったのではないかとも言われている。司馬氏が小説に託して変革を望んだ日本人像とは、遠くかけ離れてしまった社会に対して、庶民の歴史と風俗という観点からアンチテーゼを発し続けていたのである。なお『この国のかたち』の最終巻には、司馬氏がこだわり続けた鉄についての考察が収録されている。
また、考古学の分野では藤森栄一氏(一九一一〜七三)の影響を受けたと言う。藤森氏は、独自の山岳フィールド・ワークの成果に基づき、「縄文中期の信州・八ヶ岳に農耕文化圏があった」という仮説を立て、学会の猛反発に合いながらも生涯筋を曲げずに通した気骨漢であった。同時に、優れたエッセイストでもあった。近年、青森県の三内丸山遺跡など大規模な縄文遺跡が次々と発掘され、縄文時代農耕起源説が再考されている今日、藤森氏の学説は再び大きな注目を集めている。
これらの人々は、物を見極める理知的視線とドン・キホーテ的痛快さを併せ持ち、時代の大勢に切り込んでいった人々ではなかったか。また、国家のイデオロギーや民族主義に振り回されることなく、独自の価値観を貫いて来た人々でもあった。それは「失われた可能性」に対する抵抗や自己主張であったと呼んでもいいのではないか。
宮崎監督の作品に登場する気持ちのいい人物たちには、この実在の人物たちに対する尊敬が脈打っているのではないか。「どう生きるべきか」という処方箋は、独り勝手な瞑想にふけって生まれるのではなく、必死に生きた人々を手本に必死に習わなければならない実践的問題でもあるのだ。
参考資料
『別冊太陽/日本の神』山折哲雄・監修(平凡社)
『鉄の文明史』窪田蔵郎・著(雄山閣)
『鉄の民俗史』窪田蔵郎・著(雄山閣)
『日本古代文明の探求/鉄』森浩一・編(社会思想社)
『和鋼風土記/出雲のたたら師』山内登貴夫・著(角川選書)
『人間の土地』サン=テグシュペリ・著(新潮文庫)
『飛行士たちの話』ロアルド・ダール・著(早川文庫)
『あなたに似た人』ロアルド・ダール・著(早川文庫)
『方丈記私記』堀田善衞・著(ちくま文庫)
『方丈記』鴨長明・著(岩波文庫)
『対談集/日本人への遺言』司馬遼太郎・著(朝日新聞社)
『かもしかみち』藤森栄一・著(学生社)
『時代の風音』堀田善衞・司馬遼太郎・宮崎駿・著(朝日文芸文庫/UPU)
『出発点[1979〜1996]』宮崎駿・著(徳間書店)