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8, 「生きろ」の意味

 以上見て来たように、『もののけ姫』のラストは、「万能のシシ神の力で何でも叶った」という安易な描写でもなければ、人間中心主義のハッピーエンドでもない。作品で描かれた事件は、一筋の光明を描いて終わっているが、史実は楽観を許さない。では、物語の完結の後、どのような事態が展開したのであろうか。また、物語の前と後では何が変わったのであろうか。

● 物語の後の物語

 エボシ御前は、天朝様との約束(タタラ場の自治権存続と交換にシシ神の首を献上することであったと思われる)を果たせず、師匠連から送り込まれた監視役である唐傘連とも対立状態となった。アサノ公方の差し向けた地侍たちも大量に殺してしまったのであるから、侍との戦闘状態も継続するのではないか。エボシ御前がタタラ場を存続させるためには、天朝・侍双方を敵とした孤立無援の闘い、乃至は高度の政治的駆け引きが問われることになるであろう。いずれにせよ、森と共存するタタラ場の存続は困難を極めるに違いない。だからこそ、アシタカはこの地に残る決心をしたのではないか。
 しかし、史実を見るならば、室町時代中期以降にシシ神の教訓が生かされた形跡はない。製鉄産業=森林破壊は更に進み、武器は粗製濫造されるに至る。武器が幾らあっても足りない戦国時代に突入してしまうのだ。遍歴民の地位は落ち、百姓一揆も一層頻発するようになる。エボシタタラとシシ神の森を維持するための闘いは、一層厳しいものとなったであろう。

● 金屋子神の思想

 物語では描かれていないが、実際のタタラ製鉄の場所には必ず祀られていた神があった。その名を「金屋子神」と言い、何故か日本神話には登場しない神である。各地に微妙に異なる金屋子神の昔話が伝えられている。
 金屋子神は、播磨から出雲に赴いた製鉄の神で、自ら初代の村下となって働いたと言われる。(村下を随行していたとする話もある。)その素性が面白い。カナヤマヒコ(金属神)と、山神・海神を父母に持つ人間の娘との間に生まれた子供だというのだ。これは、タタラ製鉄は山=樹木と海=水との共存・調和があって初めて栄えるという示唆を含んでいるのであろう。
 これとは別に、カナヤマコヒとカナヤマヒメの子供であるとする伝承もある。金屋子神の両脇には杉の大木が植えられているが、これが親子三神を意味するとのことである。
 また、金屋子神は女性だったと伝えられている。しかも、犬(土地によっては四つ目の犬)に追われて、その土地に倒れ込んだというのだ。山犬に片腕を取られ、タタラ場に生還したエボシ御前そっくりの話である。
 さらに、中国にも良く似た女神の話がある。『広東新語』には広東地方の製鉄の祖として「湧鉄夫人」という守護神の話が書かれているという。それには「炉将に傷めば、すべからく白犬の血をもって炉に灌げばすなわち無事をうるべし。(中略)その神は女子。(中略)その夫官鉄の逋欠するを以て是において身を炉中に投ず。以て鉄多く出る。」とある。ここでは何と、白犬の血(生贄か)で修復された炉に、自ら投身自殺をすることで鉄が湧いたと言うのである。これも、作中のモロの死や片腕を失うエボシ(宮崎監督によれば、「壮烈な死」という腹案もあったと言う)の話と不思議なほど対応する。
 中国でも日本でも、製鉄の神がなぜ女神なのか、製鉄を妨げる者がなぜ犬なのかは分からない。神聖なる技が母神信仰とつながったのか、森を伐る自然破壊の後めたさが犬神殺しとなったのか。これらの含意は、作中の構造と通じる部分が不思議なほど多い。
 ともあれ、差し迫る乱世にあって、エボシタタラの人々に問われたのは、この「金屋子神」の思想であったのではないか。あるいは、エボシ御前とサンをめぐる寓話が後世に語り伝えられて、「金屋子神」信仰となった―などと考えてみたくもなる。
 近世に出雲最大のタタラを有していた菅谷地区の金屋子神は、今も大きな岩の下に祀られている。その岩をタタラ場の人々は愛着を込めて次のように呼んでいたと言う。「烏帽子岩」と。