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● コダマはなぜ一人しか復活しなかったのか
『もののけ姫』の絵コンテ(現時点では作品は完成していない)は、破壊の爪痕著しい森の最深部にただ一人たたずむコダマのショトで終わっている。一見、これは明るい未来を描いた希望的終息と感じることも出来る。しかし、これは本当にハッピーエンドだろうか。
このショットは、映画『風の谷のナウシカ』のラストショットを彷彿とさせる。それは、「青き清浄の地」にチコの芽が吹いていたショットである。これを見たC・W・ニコル氏が感激して「あそこに開拓団を送り込むのか」と宮崎監督に語り、監督が失望したというエピソードは有名である。
(対談『メタファーとしての地球環境』)
監督の意図がそれほど単純でなかったことは、漫画版を読めば誰でも分かることである。監督は、自然搾取を場所を変えて行うだけの開拓を嫌い、人間の手の届かない場所での原生林の復活を願っていたのではないか。『もののけ姫』もまた、単純に森林復活でコダマも再生したという人間中心主義の希望を描いたラストとは思えない。
このショットをよく考えてみると、森は再生しても深部は再生せず、樹の精霊たるコダマはほとんど再生しなかったことになる。このコダマがかつての生き残りなのか、新生児なのかも不明である。コダマが一人もいない森とは、神のいない明るい森、人間の作り上げた森である。
つまり、このラストショットは、原生林と里山の境目を描いた苦い結末と解釈すべきではないか。逆に言えば、わずかながらも原生林の生命力が残されているという光明を描いているとも言える。たった一人のコダマが今後増えるのか、あるいは絶滅してしまうのか、コダマ族の命運は人間の行い次第という含意があるのではないか。
それは、糸井重里氏が考案した『となりのトトロ』のキャッチコピーを「このヘンないきものは、もう日本にはいないのです。たぶん。」から、「このヘンないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」に変更することを要請した宮崎監督らしい複雑な願望と言える。それをどうとらえるかは観客次第である。
参考文献
『神話の考古学』吉田敦彦・著(福武書店)
『昔話の考古学−山姥と縄文の女神−』早川孝太郎・著(中公新書)
『あの世と日本人』梅原猛・著(NHKブックス)
『照葉樹林文化の道/ブータン・南雲から日本へ』佐々木高明・著(NHKブックス)
『時代の風音』堀田善衞・司馬遼太郎・宮崎駿・著(朝日文芸文庫/UPU)
『出発点[1979〜1996]』宮崎駿・著(徳間書店)