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● サカキの木と「あの世」の島

 死にかけたアシタカをサンが連れて行った場所、それは森の深部にある不思議な中州(島)であった。サンは、サカキの小枝を折ってアシタカの頭の前に刺した。それが墓標の意味なのか、シシ神への何かの符号なのかは不明である。そこは生と死の境目の島であり、シシ神が現れる場所であった。シシ神はここでディダラボウへ変化するのである。いわば、森の心臓部である。夜は月明かりが射し、昼は陽光が射す。静かで穏やかで、この世とは思えない場所である。
 中州は、水(神界)と地(俗世)のせめぎあう土地として神聖視されていた。中世に中州で市を開いた職人たちが多かったのもこのためと言われる。『古事記』のイザナギ・イザナミ神話でも、一面の泥海を矛でかき回して出来た中州島(オノゴロ島)に降り立って結婚したとある。天と地を結ぶ場所、生と死を司る場所の典型と解釈すべきではないか。
 サカキは、「榊」「賢木」の字に明かなように「神」の宿る「木」と言われている。神社の境内などによく植えられる常緑樹である。太古より祝い事や神事に欠かせない樹であり、僧侶や巫女はサカキを両手に持って呪術的儀礼を行っていた。現在も、シメナワと共によく用いられる神具である。 
 また、サカキを枕元に敷いて寝ると吉夢を見るとも言う。サンは、アシタカが苦痛なく天界へ旅立つことが出来るよう、サカキを頭の上に刺したのではないか。
 ところで、作品の舞台となった室町時代には、次のような不思議な絵が描かれている。
 それは、神鏡に映る十一面観音と鹿を描いた『春日鹿曼陀羅』という絵である。この絵では、鹿の背にかけられた鞍に、神鏡を支える神木が立てられている。それがサカキなのである。観音→サカキ→鹿という構図は、室町時代に鹿を神仏の使いとする信仰があったことを示すと言われている。

● 鹿信仰

 物語の鍵を握る幻の神・シシ神は、漢字で「鹿神」と書く。その名通り身体は鹿だが、頭は人に見えることもある。その形状は諸星大二郎の描いた漫画『孔子暗黒伝」に登場した「開明獣」を彷彿とさせる。(宮崎監督は同作品の熱心なファンであった。)物語では、その血に不老不死の魔力があると伝えられる鹿神だが、この設定にも史実の影を感じる。
 中世の僧侶の旅支度には鹿衣と鹿杖(鹿角の付いた杖)は欠かせないものであった。『梁塵秘抄』にも「聖の好む物、木の節・鹿角・鹿の皮」とはっきり記されている。これには仏教的な理由がある。一つは、釈迦が入山した際にまとっていたのが鹿皮と鹿杖だった。もう一つは、空也上人(九〇三〜九七二)の話である。上人が修行中に親しんだ鹿が漁師に殺されたことから、あわれみに角と皮をもらい受けて身につけた。このことから、浄土教の流れを組む一遍上人(一二三九〜八九)など時宗一派に鹿杖・鹿皮のスタイルが流行したと言う。
 鹿は実際に神として祭られてもいた。筑前の志賀島は、古くは「鹿島」と表記された島で、志賀海神社には一万本の鹿角が祭られている。鹿は群をなして海を渡る動物と言われ、海人との関係が深いとも言う。東北には前述の「鹿踊」の風習がある。日光では、今も狩猟の際に鹿の頭に祈りをさざける風習がある。
 鹿の美しい皮としなやかな肢体は、古来より狩人たちの格好の的とされ、徹底的に狩られて来た。中世に於いて「狩」とは、「鹿狩り」のみを指す用語だったと言う。また、狩人たちが鹿を祭るのは供養の意味もあったと言う。潤んだ大きな瞳に、死に行く獣の哀れみを感じた為か。
 なお、司馬遷の『史記』に『秦其ノ鹿ヲ失ヒ天下共ニ之ヲ遂フ』とあり、これに由来する「鹿を遂う(互いに政治権力を得ようと競争する)」という故事もある。『もののけ姫』の物語はまさに「鹿を遂う」話である。