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6, 神々の世界

 民俗学者である早川孝太郎氏の著書『猪・鹿・狸』の序文に、肥後の五箇床(熊本県八代郡)に伝わる以下のような実話が紹介されている。
「猪の群を遠巻きにして一群の狼がいる。それはあたかも海で鰯の大群を囲んだ鰹のように、機を測っては外側から蚕食している。猪の中には真っ黒い毛を持ったもの、または黒と白の斑毛のもの、全身が白毛に包まれたものもいた。そうして山から山を幾日もかかって移動していた。あのおびただしい猪の群は全体どこに落ちていったものか、狼は―。それが不思議でならない。」
 かつて、この国の大型動物の多数派は人間ではなかった。この国の森には、人間の二倍とも三倍とも言われる膨大な数の動物たちが棲んでいた。森の主人は、鹿であり、狼であり、猪であり、猿であり、狐や狸であった。獣の棲む森の中は、人智の到底及ばない神々の世界であったのだ。

● タタリ神―「猪笹王」の伝説

 民俗学者の折口信夫氏によれば、「タタリ」の古い語源は「立ち現れる」であり、神の示現を表す言葉であったと言う。神界にいる神々が、何らかの形で俗世に降りて来るという意味である。作品中では、シシ神の森の守護神である「ナゴの守」がタタリ神となって人里を襲う。その原因はエボシ御前らの撃ち込んだ鉛玉であった。実際に、これと良く似たタタリ猪の伝説がある。
 伯母峰峠(奈良県吉野郡)で、ある侍が笹の塊を背負った奇妙な大猪を発見し、鉄砲で撃った。深手を負った猪は、侍に化けて付近の温泉で湯治治療をした。ところが、宿屋の主人に正体を見られてしまった。猪は、「自分を撃った侍の鉄砲と犬を取り上げて持って来い。さもなくば、恨みを晴らすために村人を殺す。」と主人を脅した。侍はこれに応じなかった。 すると、峠の村には一本足の鬼が出現し、村人や旅人を次々と喰い殺した。それから何度も鬼が出現しては人を喰い、村は寂れ果ててしまったと言う。
 猪は「猪笹王」と呼ばれる森の神であった。人間に撃たれたことで、怨霊となり鬼に化けて出たのである。後に、高名な僧が猪笹王の霊を弔い鎮めたと言い、その地蔵尊は今も実在している。
 ここには、人間が動物神=自然界への畏怖を捨てて殺意を示す時、神は怨霊と化して人間を襲うという図式が見てとれる。鬼とタタリ神の違いこそあれ、モチーフはそっくりである。
 かつては立ち向かう術もなく、森は神の世界であり、その住人である動物たちは崇めるしかなかった。しかし、人間は鉄砲という殺傷能力の高い武器を開発し、鉄斧によって容易に樹を切れるようになった。今や神を殺すことも可能となったのである。立場は逆転したのだ。
 作中のヌメヌメとした蛇状の「タタリ神構成要素」は、動物神が高貴な心を捨てて、人間への復讐と憎悪に染まった時に現れる。ジワジワと迫る死の影に、さすがの神も成す術がなく、ついに呪いの塊と化す。それは、客観的には醜悪な姿であるが、同時に滅びの道を暴走する悲しい姿でもある。なお、アジアでは蛇を神とする信仰が多いが、ヨーロッパでは邪悪の象徴である。
 また、冒頭現れるタタリ神(ナゴの守)の姿は、地をはう土蜘蛛にも似ている。古来、蜘蛛は悪霊の化身として恐れられている。能には、『土蜘蛛』という演目がある。源頼光に退治される妖怪の話である。『土蜘蛛草子』など退治談を綴った絵巻もある。この種の妖怪は、差別された山の民たる「土蜘蛛」と同一視されていたとする説もある。