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火薬の発明年代は不明である。しかし、五〜六世紀の中国には火薬とほぼ同じ成分の発火装置があり、七〜八世紀頃には火薬が開発されていたとする説が有力である。それは、硝石・硫黄・木炭の混合物から成る「黒色火薬」であった。宋(九七九〜一二〇六)代には火薬の武器への転用が進み、一〇四五年に書かれた『武経総要』には、「火毬類」として八種類もの火器が紹介されている。
初期の火器は、鉄球に火薬を詰めて導火線で発火させて投石器で発射するという、爆弾のようなものであった。一二七四年に元(モンゴル)軍が日本に襲来した際、投石器で鉄の火毬を撃ち込んだという記述がある。これが「てっはう」と書かれたもので、日本史に登場した最初の火器である。以降鉄砲伝来まで二六九年間、「てっはう」に対する研究が日本で成されていた可能性は高いと思われるが、確証はない。
一二三二年には金(中国)軍が蒙古軍に対して「飛火槍」と呼ばれた火器を使用している。これは、特殊な紙を十六枚重ねて作った筒の中に発火用の縄を付けた槍を詰め、火薬で発射するというものであった。一二五九年には、筒を竹に変え、弾丸式の火薬を詰めた「突火槍」が開発された。これが世界に伝播した筒型火器の原点である。一三〇〇年頃には木筒製の「マドファ」と呼ばれた火器がアラビアで開発された。それから間もなく、青銅や銅製の筒型火器が開発された。金属器の開発年は不明だが、一三〇〇年前後と思われる。現存する世界最古の金属製筒型火器は、一三五〇年頃に中国で作られた青銅製の「手把鋼銃(ハンドカノン)」である。
この中国製筒型火器が日本に伝来していた可能性は高い。しかし、少なくとも室町末期には筒状火器が実戦に使われていた。それは日本独自の改良を加えた鉄の大砲であった。それら大小の火器は「石火矢」と総称された。石火矢は、各地で様々な型が開発されたが、やがて実用的な火縄銃に取って代わられ、次々と姿を消していった。

銃の中では最も古い歴史をもつといわれる前装滑腔銃。銅製。(図解古銃辞典/所荘吉/雄山閣)