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4, タタラ製鉄

 宮崎監督は、二十歳の頃から製鉄民に強く惹かれていたと言う。映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』では、鍛冶場にブタ型の送風装置(吹子)を考案するなど、既に製鉄作業の描写へのこだわりを見せていた。以来三十年、ついに自作で製鉄民を本格的に描くという夢が叶ったのである。
 『もののけ姫』では、太古の昔から日本最大の製鉄プラントが在った出雲地方(現在の島根県)のタタラ場が舞台となっている。

●タタラ製鉄の由来と特性

 日本の製鉄は太古より行われていた。日本には、原材料となる鉄鉱石は乏しかったが、火山国の特性として上質の砂鉄が大量に採掘出来た。このため、砂鉄を炊いて鉄塊を精製する特殊な製鉄技術が発達した。この日本独特の製鉄技術を「タタラ製鉄」と呼ぶ。
 タタラとは、神話時代から使われていた古い言葉であり、今も地名に残っている。タタラには、年代順に「蹈鞴」「鑪」「高殿」などの漢字が当てられた。「蹈鞴」は、「鞴」を「蹈む」という意味。「鑪」は製鉄に使う溶鉱炉の意味。「高殿」は製鉄用の特殊な建物(後述)を示す。漢字の推移は、そのままタタラの発展を示すものでもある。
 タタラ製鉄は、諸外国で行われた鉄鉱石の製鉄に比して、はるかに硬度と柔軟性に富む上質の鉄を作り出す技術であった。不純物が混在している鉄鉱石に比して、砂鉄は原料段階で不純物を除去出来る。砂鉄自身の純度が高ければ、極上の鉄塊を作ることが出来るのだ。タタラ製鉄で出来た鉄塊は、現在の製鉄技術を駆使しても及ばないと言われるほど高純度なのである。世界最高峰の鉄刀と言われ、各国に輸出されていた日本刀も、タタラ製鉄なればこそ出来たのである。
 しかし、幕末に「攘夷思想」と共に軍艦建造が計画されるようになると、かつてないほど大量の鉄が必要となった。この為、西欧の反射炉精錬と高炉製鉄という近代的製鉄技術が輸入され、鉄鉱石の採掘出来る各地には大工場が建設された。高炉製鉄が盛んになり、鉄の量産体制が整う明治時代になると、タタラ製鉄は次第に姿を消して行ったのである。

●タタラ製鉄の作業行程

 タタラ製鉄の作業工程は以下のような手順である。
 まず膨大な量の樹を切り、山から運び出して炭焼が木炭を作る。同時に川や山から大量の砂鉄を採集する。砂鉄採集は、当初は「竪穴掘り」と呼ばれた露天掘り、後に「鉄穴流し」と呼ばれた水路設置による分離法(比重選択法)に発展する。大量に採集しなければならないため、大変な重労働であった。これは、「鉄穴師」と呼ばれた者たちによって担われた。
 始めに炉床を深く掘り、石と炭を多層的に詰めて窯状の床を築く。この地下で、土を乾燥させるべく二ヶ月を要して徹底的に炭を焼く。この際、わずかな湿気があっもよい鋼は出来ないと言う。
 次に、粘土によって作られた窯であるタタラ炉を設置する。ここに木炭をくべて火を焚き、砂鉄を放り込みながら炉に空気を送り込み、一五〇〇度以上の高温を保つ。これを指揮者の「村下」一人(表村下・裏村下として二人制の場合もあった)、「炭坂(炭焚き)」二〜三人程度の交代制で行う。
 送風は、数十人を動員して手動のふいごで行っていたが。中世になると六人程度で稼働する「踏みふいご」が出来る。近世には更に改良され、二人ですむような「天秤ふいご」が出来た。作中に登場するのは、「踏みふいご」である。交代制でふいごを踏み続ける重労働を担う者を「番子」(「代わり番子」の語源か)と呼び、力自慢の荒くれ者が多かったらしい。
 このように、一工程の操業には最低十人は必要であった。三日四晩不眠不休で炉を燃やし続け、ふいごを踏み続けると、砂鉄はようやく溶けて鉄の塊となる。これを「ケラ(金へんに母と書く)」と言う。タタラ炉を取り壊してケラを取り出す。この一行程を「一夜」と呼ぶ。
 極上の真砂砂鉄で作られた鋼鉄は「玉鋼」「和鋼」などと呼ばれ、刀剣類や武器・農具に加工された。これらの鉄塊を取り出す前述の製鉄法を「ケラ押し法」と言い、これが最も高度な技術を要する製鉄法である。
 その残りは「錬鉄」と呼ばれ、「左下法」と呼ばれる製鉄法で取り出され、鍛冶が包丁などに鋳造した。
 これとは別に、赤目砂鉄で作られた鋼を「銑鉄」「鋳鉄」と呼び、「銑押し法」と呼ばれる製鉄法で取り出され、鋳物師の手によって鍋釜に加工された。 
 以上の三様式が、典型的なタタラ製鉄の行程である。
 このようにタタラ製鉄には、伐採・運搬・炭焼・砂鉄採集・炭焚き・タタラ踏み・鍛冶・鋳物師などの諸職が不可欠で、当然大人数による産業共同体を構成していた。彼らは、平地の稲作農民からは「タタラ者」「山内者」などと呼ばれていた。
 なお、作中のタタラ炉は実に巨大だが、絵コンテに「四日五晩踏み続ける」とある。よほど巨大な鋼塊を作っていたと思われる。

「ふみふいご」(右)と、改良された「てんびんふいご」(左)。これらを合理的な装置に改良したのが「たたら炉」である。(鉄の語る日本の歴史上/飯田賢一/そしえて文庫)