1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44


1,照葉樹林文化

 映画『もののけ姫』の原点の一つに「照葉樹林文化論」が挙げられる。
 宮崎駿監督が、七〇年代から中尾佐助(一九一六〜九三)氏の提唱した「照葉樹林文化論」に傾倒していたことはよく知られている。八〇年のテレビ『(新)ルパン三世』の演出の際には、「照樹務(テレコム)」というペンネームを使っている。「明治神宮の照葉樹林の散策が大好き」と語り、雑誌『世界(八八年六月臨時増刊号)」には中尾氏の著書『栽培植物と農耕の起源(岩波新書)』の熱烈な書評を書いたこともよく知られている。
 『もののけ姫』の舞台は原生林に設定されているが、これが堂々たる照葉樹林である。宮崎監督は何故照葉樹林にこだわり続けるのか。

●西南日本の源流たる照葉樹林文化

 かつて日本の南半分はうっそうとした暗い原生林が覆っていた。それは、年間を通して常緑に輝く葉を持つカシ、クス、シイ、タブ、ツバキ類等であった。これらの常緑広葉樹林を総称して「照葉樹林」という。
 太古の昔、照葉樹林帯は中央アジアのヒマラヤ山脈麓(現ブータン)を起点として中国南西部を経て日本に至るまで、ベルト状に分布していた。照葉樹林帯の各地周辺では、よく似た食文化、農業、風習、宗教、伝説が今に伝えられている。同根の文化圏が時空と場所を越えて発生していたのである。たとえば、ヤムイモやタロイモ、アワ・ヒエ・イネなどのモチ種、そしてナットウなど、数多くのネバネバした食品を好む性質、茶やシソの栽培、麹から作る酒、養蚕、漆器文化などである。これらは元来、照葉樹林帯独自の文化であり、これより北にも南にも存在しなかった。
 海路も陸路もおぼつかない太古の昔、民族も国家も違い、交流も薄かった筈の地帯に見られる驚くべき共通点―、これを「照葉樹林文化」と名付けて体系化し、提唱したのが栽培植物学者の中尾佐助氏である。中尾氏は、地道なフィールド・ワーク(現地調査)を重ねて、人間の食文化・農耕と原生植物の分布を関連づけ、その世界的な体系化を試みたのである。その結果、人類文明の傾向は原生植物に起因しているという驚異的な結論を導き出したのである。氏は自説の体系を「種から胃袋まで」と記している。
 照葉樹林は、温暖で雨に富む湿潤地帯にのみ発生し、森林の蘇生力が非常に強い。つまり、いくら樹を切っても自然の状態にもどせば砂漠化せず、やがて常緑の森林にもどってしまうのだ。昼なお暗い神秘の森のほとりに住んだ人々が、そこに神々の世界を見い出した所以もここにある。
 中尾氏の学説について、宮崎監督は以下のように記している。
「読み進むうちに、ぼくは自分の目が遥かな高みにひきあげられるのを感じた。風が吹きぬけていく。国家の枠も、民族の壁も、歴史の重苦しさも足元に遠ざかり、照葉樹林の森の生命のいぶきが、モチや納豆のネバネバ好きの自分に流れ込んでくる。」(中略)
「ぼくに、ものの見方の出発点をこの本は与えてくれた。歴史についても、国土についても、国家についても、以前よりずっとわかるようになった。」(前述『世界/八八年六月臨時増刊号』掲載「呪縛からの解放―『栽培植物と農耕の起源』」)
 宮崎監督は、この「照葉樹林文化論」に出会って、「人間と自然」という大テーマを語る際、「原生林と人間の関係」を描くことが最も根元的な問題と考えたのではないか。そして、自らの原点たる原生林を真正面から描いたという意味に於いても、『もののけ姫』は集大成的作品と言えるのではないか。