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前書き

 宮崎駿監督は、一流のアクション・エンタテイメント監督である。宮崎監督に対する「飛行表現作家」「冒険娯楽作家」という評価は、最早定着してしまった感がある。しかし、宮崎監督は単なる娯楽映画監督ではなく、常に現代の政治的・社会的・思想的ムーブメントを作品に反映させている希有の良心的表現者でもあるのだ。
 これまで、多くの誌面を飾った宮崎監督作品の評価は、娯楽性の裏に隠れた面倒な思想的意義を分析することを避けたものが圧倒的に多い。それらは主にシーン分析であり、「飛行表現の生理的快感」「人物描写の誠実さ」「エコロジカルで常識的な理性」などの観点から述べられたものであった。中には、生理的・感性的な「好き」「嫌い」を繰り返すだけの貧困な感想文すら少なくなかった。これらの評価は、監督の作家としての思想性に肉薄する観点が欠落している分、著しく皮相的であったと思える。
 監督自身はインタビューや対談で多くの書物を紹介し、政治的・思想的発言も行っているが、これらの内容に関して、詳しく突っ込んだ考察や論考を行った例はほとんどない。つまり、宮崎監督自身の問題意識に関する正確な評価は未だ棚上げ状態なのである。
 宮崎監督は、これまで前監督作『紅の豚』を「作ってはいけないモラトリアム映画だった」と自戒し、「次作で決着をつけねばならない」と度々語って来た。「監督引退」の噂についても、本意は「積年の課題に決着をつける」ことであったのだ。筆者の取材では、「これを作れば、当分楽しい趣味の作品を作って暮らせる」とまで語っていた。おそらく、今回は宮崎監督の生涯の中で、最も苦しい作品制作であった筈だ。
 では、宮崎監督は、何故それほどまでに重い宿題を自身とスタジオジブリに課したのか。「決着」とは何を意味するのか。
 本論では、映画『もののけ姫』に込められた膨大な情報を、多角的な観点から整理することで宮崎監督の思想的意図をあぶり出してみたい。前例のない実験的論考ではあるが、はるか彼方を走り続ける宮崎監督の問題意識の片鱗にでも迫ることが出来ていれば幸いである。

(なお、本文に引用した宮崎監督の発言で、出典記述のないものは、筆者が直接監督に伺ったものである。)