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ウ●コもおしっこも

   朝寝坊もする宮崎ヒロインの完成?

 ―月島 雫―

 雫もまた、芯の強いはっきりと自分を表現できる明るく活発な少女です。


 雫は最近の宮崎作品の中では最も魅力的なヒロインなのではないかと思います。


 雫は自分と同じ年齢で同じ本を読んできたはずの聖司が、自分の将来への夢をしっかりと持ち、目的に向かって具体的に実践しようとしていることにショックを受けます。思春期は特に身近な友達が自分より少し前を進んでいると、自分は遅れているのではないかとあせりを感じるものです。


 「自分より頑張ってわかってる人に頑張ってなんて言えない」と雫。
 好きな相手が見ず知らずの土地で自分の力を試そうとしているのに、自分は主体の問われない平穏な日常生活の中に埋没しているのは耐えられない。少なくとも聖司と同じ立場に立ち、同じ質の苦しみを乗り越えなければ、聖司と並んで歩く事は出来ないんじゃないか。


 雫は聖司と互いに励まし合える中身を共有したかったのです。だからこそ雫は、2ヶ月間イタリアへ修行に行く聖司の苦闘と同質の試練を、自分自身に課す事になります。その課題とは、聖司がイタリアへ行っている2ヶ月の間に、これまで自分が温めていた物語を書き上げる、という事でした。


 その試練は雫にとって、試験勉強や睡眠や食事よりも大切な問題であり、自分の力量が根底からギリギリと問われる辛く苦しい、自己の全存在を賭けた闘いです。
 雫が「迷いの森」をさまよい鉱脈の洞窟で本物の宝石の原石をさがす下りは、緊迫感があって雫の焦燥感にいたたまれなくなってしまいました。


 雫は何とか物語を書き上げます。不安に怯えながら、西老人に完成した物語の原稿を渡した雫の姿は、自分が何者なのか、本当に宝石の原石を持っているのか審判を待つ、まるで牢獄に囚われ裁判を待つ怯えたヴァイオリン作りの少年の版画のようでした。


 とても自分では満足出来る仕上がりでなく、自分の力量不足を痛感しても、どうしようもない辛さと苦しさ。
 しかし、西老人はしかっり少女の心を受けとめる事の出来る立派な老人でした。「荒々しくて素直で未完成で、まるで聖司のヴァイオリンのようだ」と、雫の作品の未熟な部分も含めてまず肯定してくれるのです。これぞ若者の気持ちに立って子供を諭すことが出来る大人の姿なのだと思いました。


 「ワァーッ」と泣き出す雫に、雫と緊張感を共有していた私も目頭が熱くなりました。

 私は正直、ナウシカ以降の宮崎アニメのヒロインにはあまり思い入れることはありませんでした。シータにもさつきにもキキにもフィオにも、かつて宮崎氏が思い入れを込めて描いたラナやクラリスを上回る魅力を感じなかったのです。
 たとえば、ラピュタ。シータはパズーと死を決意することでラピュタ族の末裔としての負債を払います。しかし、少年と少女を心中に追いつめることが、果たして「あこがれをかきたてる」中身でしょうか。私にはそうとはとうてい思えませんでした。
 ヒーロー像としても、ホルスやコナンは全人類的な普遍的利害を背負っていましたが、パズーはなにも背負ってません。あるのは変人扱いされて死んでいった父親の恨みを、ラピュタを発見して晴らしたいという極めて個人的な利害と冒険心。シータを救出したいのも自分の彼女を取り返す為で、自分の事しか考えていないのですから、あまり共感も沸きませんでした。
 以降、「トトロ」も「魔女の宅急便」も「紅の豚」も、どこか宮崎氏の混沌としたすっきりしない部分が見え隠れして、心底感動できないで映画館を出てきた気がします。(もっとも、それでも宮崎作品が好きなんだけども・・・)
 しかし、「耳をすませば」の感動は1体何なのでしょう。
 ついに宮崎氏は新境地を見出したのでしょうか。

 余談ですが、宮崎氏は最初の子供が産まれる時、「妻が出産という命がけの試練に立たされているのに、自分が何も苦しい思いをしないでのんびり暮らすことは出来ない」と、嫌で嫌で仕方がなかった自動車教習所に免許を取るため通ったそうです(子供の保育園の送り迎えで必要だった)。プライドの高い?宮崎氏にとっては、それはそれは屈辱の日々だった事でしょう。今、ブンブン車を乗り回している宮崎氏からは、ちょっと想像できないですね。