雫と聖司の出会いも又、最初の頃の意地を張り合ったギクシャク感がたまらなく面白かった。
雫が本を忘れたとき、聖司は「コンクリートロードは止めといた方がいいと思うよ」なんて意地悪な事を言ってしまう。聖司は後で告白してますが、前から図書カードで雫の名前に気がついていた。聖司も又、自分の借りた本の図書カードに雫の名前を見つけて、気になっていたのでしょう。雫の存在を確認して隣に座ったときなんかは、きっとドキドキだったんじゃないでしょうか。雫より先に本を読めば雫も自分に気づいてくれるのではないかと思ったなんて、なんともいじらしい限りです
でも「物語」の事しか頭にない雫には、そんな聖司のアプローチもカヤの外だったんでしょうね。聖司にしてみれば、自分に気づく様子のない雫に意地悪の1つもしてみたくなります。男の子って気になる女の子には意識している事の裏返しでつい意地悪をしてしまうんですよね。
雫が地球屋に忘れた弁当を聖司が自転車で届けるときも、分かっていながら「ずいぶんでかい弁当だな」なんて言ってしまう。しかも、「コンクリートロード〜、どこまでも〜」と、しっかり歌詞を覚えている事をアピールしてるからおかしくなってしまいました。
たぶん地球屋の工房で、ヴァイオリンを弾いて雫に歌わせた時も、絶対前もってカントリーロードを弾く練習をしていたに違いないと思うのです。でなければ楽譜もないのに、いきなりあんな上手に弾けるでしょうか。西老人やの楽器仲間のお爺さんたちなら、有名な曲だし簡単なコード進行なので、長年の経験でセッション出来るのも納得いくのですが…。
それにしても、各場面でみられた聖司のさりげないやさしさは憎いほどきまっていました。
地球屋の前で、落ち込んでいる雫を店の中に案内したときも、何かあったのか何で悩んでるのか執拗に聞いたりしません。雫はバロンに会いに来たのであって、自分に会いに来たわけではないのです。だからバロンの所へ案内すると「好きなだけ見ているといいよ」といって、自分は下の階へ降りていってしまいます。雫に関心がないわけではないのですが、彼女の気持ちを考えてベタベタしないで、自分のやるべき事をやっている。
地球屋からの帰り道。自転車を引いて歩く聖司は、常に雫からみて車道側を歩いています。車が来て危ない側を無意識のうちに歩いているのです。
途中でそれに気づいた雫は、これまた自分が車道側を歩いてみせる。なんとも初々しいではないですか。私はこういう感覚をすっかり忘れていました。
市立図書館で雫が小説のアイデアをまとめるため必死に学習している時に、そっと聖司が前に座る。雫が気づくと、「雫の用事が終わるまで待っているから」と言う。決して自分の都合を押しつけたりせず、常に雫の立場に立ってものを考える。
夜明け前、部屋の窓から聖司に気づき、着の身着のまま降りてきた雫に、聖司はすかさず自分のジャンバーを雫の肩にかけてやる。
これでは文句のつけようが無いほどやさしい素敵な少年じゃないですか。
しかし、この常に自分よりも相手の気持ちを思いやるひたむきなやさしい少年像は、「コナン」「パズー」等の宮崎氏が作り上げてきた少年キャラクターに共通した「こうあって欲しい」少年像を継承しているように思います。ある意味で聖司は典型的な宮崎キャラで、宮崎流少年ヒーローの現代版となっているように思うのです。
私が少年の頃、コナンの戦う姿に憧れたように、現代の少年達も聖司の将来に向けたひたむきな姿や、好きな女の子への思いやりに自分を照らし返すのではないでしょうか。